4/24京都新聞“窓"欄に掲載された僕の投稿
大飯原子力発電所の再稼働に対して、国民の不満が強まっています。
先日も東京では首相官邸前、大阪では関西電力本社前で数百人~千人規模の抗議活動が行われ、再稼働が撤回されるまで繰り返し抗議活動が続けられる見込みです。
昨年の原発事故以降とり続けられる政府の日和見でその場凌ぎな対応が生み出した私たち国民の不安がその原因でしょう。
何を以て「安全性が確認された」と認めているのか。本当に安全なのか、安全性と電力供給を天秤にかけているだけではないのか……消えることのない疑念は不安と恐怖を伴い、人々を抗議活動へと駆り立てています。
昨年の夏より、京都のホームセンターにある家庭菜園用の土、100円ショップに売られている静岡県のお茶からは、通常の数値を上回る放射線が検知されたそうです。
政府には経済に国民の平穏な生活を売り払うことなく、今一度踏みとどまって国民の声に耳を傾け、私たちが本当に望んでいることを冷静に判断していただきたいと心から願います。
先日も東京では首相官邸前、大阪では関西電力本社前で数百人~千人規模の抗議活動が行われ、再稼働が撤回されるまで繰り返し抗議活動が続けられる見込みです。
昨年の原発事故以降とり続けられる政府の日和見でその場凌ぎな対応が生み出した私たち国民の不安がその原因でしょう。
何を以て「安全性が確認された」と認めているのか。本当に安全なのか、安全性と電力供給を天秤にかけているだけではないのか……消えることのない疑念は不安と恐怖を伴い、人々を抗議活動へと駆り立てています。
昨年の夏より、京都のホームセンターにある家庭菜園用の土、100円ショップに売られている静岡県のお茶からは、通常の数値を上回る放射線が検知されたそうです。
政府には経済に国民の平穏な生活を売り払うことなく、今一度踏みとどまって国民の声に耳を傾け、私たちが本当に望んでいることを冷静に判断していただきたいと心から願います。
ホライズン山下宅配便があなたの町へと出向きます!神戸編 at 旧グッゲンハイム邸 (Hyogo)
この日は旧グッゲンハイム邸で行われたmapとHOP KENの共催イベント「ホライズン山下宅配便があなたの町へと出向きます!神戸編」に行って来ました。

オープニングはかえるさんと山路智恵子のデュオによる、その名も「かえる山」。自由奔放に歌を紡ぐかえるさんと、確定された演奏と即興の境目が融和した山路氏のドラムスとの組み合わせは、見事に絡み合った……と言うより、絶妙なアンバランスさを生み出していた、というような感じ。時代とジャンルを超越した異形のポップスと、偶発音も取り込んだリズム。それぞれが微妙に違う周波数で鳴り、しかもお互いが捻じれているような音の重なりが、まるでポリリズムのような多層的なサウンドを生み出していました。
ラストには、「踊れる曲を用意しました」と、なんとデヴィッド・ボウイの「Let's Dance」を披露。「Let's Dance!」とシャウトする山路氏と、朗々とした声で歌い、コール&レスポンスまでするかえるさんの意外性に驚愕と爆笑。
続いては名古屋のトリオバンド・紙コップス。空き缶や犬小屋で組んだドラムセット(犬小屋がバスドラ)に、小学生コスプレで頭に紙コップ……という人を食ったようなビジュアルに、インパクト優先の浅いバンドではないかと油断していたらさにあらず。3人それぞれの演奏力、歌唱力、自己主張が申し分無くハイレベルで、しかも3人が絶妙なコンビネーションでガッチリ組み合い、トリオバンドかくあるべしと言いたくなる相互作用を生み出し、調和しながら高め合うその結束力が、素晴らしいです。そして高め合った成果として、楽曲を途中で脱線・寄り道させ、そこに笑いや遊びを容赦無く盛り込んでいくという、そのユーモアセンスとメンタリティがまた素晴らしく、観ていてこんなワクワク感を覚えたのは三日月スープを始めて観て以来、腹がよじれて呼吸が止まるほど笑ったのはラーメンズのライブ以来かというほど。
そしてラストはホライズン山下宅配便。60年代イギリスのロックバンドのようなオーセンティックなバンドの演奏に上ずり気味でやや滑舌の悪いボーカルが乗る、というサウンドをベースに、時に寸劇風にもなる笑い中心のMCが間断なく埋め尽くすスタイルは、どうも比重が笑いに寄り過ぎている気がして、前半なかなか入り込めないところがありましたが、後半に進み、お客さんを巻き込む体制に入るにつれ、徐々にただならぬ空気が首をもたげ始めます。
客席の空いている座布団を集め、それを重ねた上に正座し、「一度こんな姿勢で歌ってみたかっただけ」とボーカルの黒岡氏。さらに座布団を積み上げるために、「皆さんずっと座ってて疲れたでしょう。ちょっと立ってみてください……あ、ここにも座布団が余ってる」とお客さんの座布団まで取り上げます。
ギターのチューニングを変え、カポをつけようとして「あれ、カポがねえ」とギターの伴瀬氏。そこで急に人力カポをさせるという暴挙に出、紙コップスのかくむ氏とお客さんのご夫人がバレーコードのようにして伴瀬氏の弾いている間ギターのフレットを押さえることに。かくむ氏がカポを持っているにも関わらず。そして終了後には「カポの気持ちが分かったか」と諭す黒岡氏。
そして最後の曲「期待」ではビデオにもあるダンスをお客さんも一緒に……というよくあるパターンから、なぜか踊ってたお客さん全員でサークルモッシュしたかと思うと、黒岡氏を中心に全員その場に倒れ、最後は何故かメンバーと一緒に後方のお客さんにお辞儀しているという超展開。気づけば僕は黒岡氏のすぐ左隣に立ってました。
楽曲は、ここ数年の流れとも思える「ルーツをごった煮にして今日的エッセンスでまとめあげる」というタイプで、クオリティも高いが、ねじれ具合とひねくれ度合いも容赦がなく、この辺りは実に現代的だと感じますが、逆にライブでの演出は、一見人を食ったような現代的な偏屈さを見せながらも、その実、小芝居風の語り口は旧来的で、お客さんの巻き込み方も基本フォーマットは古くからあるものをそのまま使っていながら、アウトプットとしては今日的な屈折を発生させて、前を見ていたつもりが終わったら後ろを向いていた、という現象を生み出しています。
演奏や楽曲に留まらず、MCやお客さんとの絡みまでも古典と現代性を融合させているバンド(しかもここまで上手く)は、実はそうそうないように思います。
そういう意味でも、音楽とライブでのパフォーマンスが切っても切れない関係にあるこのバンド、さて音源だけ聴くとどうなのか。この日はアルバム先行発売もされてたんですが手持ちがなかったので、また改めて購入し、じっくり聴いてみたいと思います。

オープニングはかえるさんと山路智恵子のデュオによる、その名も「かえる山」。自由奔放に歌を紡ぐかえるさんと、確定された演奏と即興の境目が融和した山路氏のドラムスとの組み合わせは、見事に絡み合った……と言うより、絶妙なアンバランスさを生み出していた、というような感じ。時代とジャンルを超越した異形のポップスと、偶発音も取り込んだリズム。それぞれが微妙に違う周波数で鳴り、しかもお互いが捻じれているような音の重なりが、まるでポリリズムのような多層的なサウンドを生み出していました。
ラストには、「踊れる曲を用意しました」と、なんとデヴィッド・ボウイの「Let's Dance」を披露。「Let's Dance!」とシャウトする山路氏と、朗々とした声で歌い、コール&レスポンスまでするかえるさんの意外性に驚愕と爆笑。
続いては名古屋のトリオバンド・紙コップス。空き缶や犬小屋で組んだドラムセット(犬小屋がバスドラ)に、小学生コスプレで頭に紙コップ……という人を食ったようなビジュアルに、インパクト優先の浅いバンドではないかと油断していたらさにあらず。3人それぞれの演奏力、歌唱力、自己主張が申し分無くハイレベルで、しかも3人が絶妙なコンビネーションでガッチリ組み合い、トリオバンドかくあるべしと言いたくなる相互作用を生み出し、調和しながら高め合うその結束力が、素晴らしいです。そして高め合った成果として、楽曲を途中で脱線・寄り道させ、そこに笑いや遊びを容赦無く盛り込んでいくという、そのユーモアセンスとメンタリティがまた素晴らしく、観ていてこんなワクワク感を覚えたのは三日月スープを始めて観て以来、腹がよじれて呼吸が止まるほど笑ったのはラーメンズのライブ以来かというほど。
そしてラストはホライズン山下宅配便。60年代イギリスのロックバンドのようなオーセンティックなバンドの演奏に上ずり気味でやや滑舌の悪いボーカルが乗る、というサウンドをベースに、時に寸劇風にもなる笑い中心のMCが間断なく埋め尽くすスタイルは、どうも比重が笑いに寄り過ぎている気がして、前半なかなか入り込めないところがありましたが、後半に進み、お客さんを巻き込む体制に入るにつれ、徐々にただならぬ空気が首をもたげ始めます。
客席の空いている座布団を集め、それを重ねた上に正座し、「一度こんな姿勢で歌ってみたかっただけ」とボーカルの黒岡氏。さらに座布団を積み上げるために、「皆さんずっと座ってて疲れたでしょう。ちょっと立ってみてください……あ、ここにも座布団が余ってる」とお客さんの座布団まで取り上げます。
ギターのチューニングを変え、カポをつけようとして「あれ、カポがねえ」とギターの伴瀬氏。そこで急に人力カポをさせるという暴挙に出、紙コップスのかくむ氏とお客さんのご夫人がバレーコードのようにして伴瀬氏の弾いている間ギターのフレットを押さえることに。かくむ氏がカポを持っているにも関わらず。そして終了後には「カポの気持ちが分かったか」と諭す黒岡氏。
そして最後の曲「期待」ではビデオにもあるダンスをお客さんも一緒に……というよくあるパターンから、なぜか踊ってたお客さん全員でサークルモッシュしたかと思うと、黒岡氏を中心に全員その場に倒れ、最後は何故かメンバーと一緒に後方のお客さんにお辞儀しているという超展開。気づけば僕は黒岡氏のすぐ左隣に立ってました。
楽曲は、ここ数年の流れとも思える「ルーツをごった煮にして今日的エッセンスでまとめあげる」というタイプで、クオリティも高いが、ねじれ具合とひねくれ度合いも容赦がなく、この辺りは実に現代的だと感じますが、逆にライブでの演出は、一見人を食ったような現代的な偏屈さを見せながらも、その実、小芝居風の語り口は旧来的で、お客さんの巻き込み方も基本フォーマットは古くからあるものをそのまま使っていながら、アウトプットとしては今日的な屈折を発生させて、前を見ていたつもりが終わったら後ろを向いていた、という現象を生み出しています。
演奏や楽曲に留まらず、MCやお客さんとの絡みまでも古典と現代性を融合させているバンド(しかもここまで上手く)は、実はそうそうないように思います。
そういう意味でも、音楽とライブでのパフォーマンスが切っても切れない関係にあるこのバンド、さて音源だけ聴くとどうなのか。この日はアルバム先行発売もされてたんですが手持ちがなかったので、また改めて購入し、じっくり聴いてみたいと思います。
| 期待 | |
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星の声 at 旧グッゲンハイム邸 (Hyogo)
この日は旧グッゲンハイム邸で行われたイベント「星の声」に行って来ました。

オープニングはkaccono。MCで話すよりも小さな声で囁くボーカルと、耳をそば立てないと聞こえないようなアコギの音を中心に、時折断続的に重なるキーボード、ハーモニカ、アコーディオン、ベース、そしてコーラス。極限まで絞り込んだ音量と音数で、それぞれの音を慎重に溶け込ませるサウンドメイキングは異常なまでにセンシティブで、その徹底的に内省的なセンスが聴き手の耳に覚醒的な刺激を与えます。
音自体にやや拙さが残っていることにも起因する「ゆらぎ」があり、その不安定さが面白みでもあるバンドだと思いますが、今後それがより一層内向きに極まっていくのか、どこかで安定して来るのか、もしくは外へ向かって放射し出すのか。いずれにしても「変化」に期待が湧いてくるパフォーマンスでした。
続いては、この日のイベントのPAも務めていた稲田誠のウッドベース弾き語りソロ。ステージに一人立つその体全体から発するエネルギー、歌とベースの強靭なサウンドが終始圧巻で、自身の他のバンドでの曲も何の違和感も無く演奏し切れていて、しかもそれが「音を間引いた感じ」に全く聞こえないのですから、もう全部ソロでいいじゃないかと思ってしまうほど。それぐらい濃厚で説得力のある演奏でした。
続いてのスティーブジャクソンは、歌もののロックバンドながら、ジャムバンドのようなリフレインを基調としたリズムセクションが素晴らしく、時折アフロ・ビートのようなしびれるフレーズを垣間見せながらも、そこにポップス的マナーで転調もするというフレキシブルさも含有して、楽曲が適度なねじれを起こしているところが実に魅力的。一曲のコンパクトさ、力の抜けた歌の軽やかさからして、演奏の主体はあくまでも「歌もの」としての楽曲。派手な盛り上がりやダンス衝動は控えめですが、一方で微かに腰の辺りをくすぐられるような誘惑も孕んでおり、この辺りの「ダンサンブルか否か」については聴き手によって解釈も分かれそうな気がします。
そしてトリはシラオカ。ギター二人とドラムス、男声ボーカルでのメランコリックな演奏は一聴したところ別段特色を感じませんでしたが、曲が連なるほどにメロディやリフから微かに煌めくようなものが立ち上り、静かにゆっくりと胸を揺さぶられ始めます。
メロディに引かれ、これは……と思い身を乗り出すと、またさりげなく首を引っ込めるような、聴いていて何とも不思議な感覚がありました。
各楽器の音の良さも、この日の良好な音響の中でも特に印象的でした。ギターの倍音が会場を覆い、減衰していくプロセスも実に音楽的で、音楽が「音」である以上、音響も楽曲の一部であるという、当たり前でありながら多くの場合軽んじられていることを改めて認識しました。
14時にスタートし、18時には終了。
どの出演者もこの日が初見で、稲田氏以外はどんな音なのかも全く見当がつかないまま会場に入りましたが、それは正解だったようで、一筋縄では行かない各バンドの演奏は、まるで聴きながら謎解きをしていくような楽しさもありました。
音楽がどんどん「便利なもの」としての機能を求められ、聴いた瞬間にすぐ良し悪しが分かってしまったり、1分以内にクライマックスがやってくるように求められる、という状況がロック/ポップスの(一部の)世界にはあります。そういったもの全てが悪いとは思いませんが、そうではなく、一言では言い表せないような「何とも言えない音楽」が、僕は今一番面白い気がします。
| 部屋 | |
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音遊びの会 at 京都芸術センター (Kyoto)
この日は京都芸術センターに音遊びの会を観に行きました。
早い時間での開演・終演だったので、家族での観覧。しかし早いと早いで娘(楽ちゃん。2歳10ヶ月の女子)は開演中に昼寝の時間が重なる可能性もあり、雨の中でしたが早めに出発し、COCON烏丸で雑貨を見ながら寝かしつけ。
なるべく開演ギリギリまで寝てもらったのが良かったか、会場入りするとすぐに起床。ただ、寝起きでぼーっとした状態。
ステージにドラムセットが組まれ、その前にDJブース。客席はコの字型に組まれ、ステージ前のフロアはステージから続くメンバーの活動スペースに。コの字の上辺にメンバーが座っていました。
照明が落ち、開演。冒頭はなんとヒップホップでスタート。大友良英と永井くんのDJに合わせてラップ(というか絶叫)する音遊びのメンバー。
「さいしょはぐー、じゃんけんぽんっ」と着地点の無いじゃんけん大会が延々繰り返されたり、打ち込みのドラえもんのオープニング曲が突然始まったりと、無秩序さが音楽を飲み込む壮絶さに、娘も僕に抱かれながら唖然。
続いては、2、3人で数分間行うセッションを数セット。こちらは、無秩序にひたすら迷走するようなハチャメチャなことにはならず、一人一人が自分の音を大事に、セッションメンバーと一定の距離感を保ちながらも上手く共生したような、実に美しい演奏が続きました。ハプニングが起こるスリルではない、音そのものが煌めいて迫ってくるスリル。
途中、チンドン屋のようにメンバーが思い思いの楽器(や箒のような非楽器)を持って踊り回りながら合奏(大友氏は手の上に箒を垂直に立ててうろうろするだけ)していましたが、娘を抱いてステージ隅に立っていた嫁が、何故か合奏の渦の中に引っ張り込まれるというハプニングが。しかし、後のことを思えば、この程度のことは序の口だったわけですが。
意識が冴えてきて、手元で遊び始めた娘。飽き始めたかな、と思ったら、テニスコーツの登場に目を奪われます。
「ぶきゃーん(ギタ―のコードを鳴らした音のこと)、っていう、ブヤイアンメイ(ブライアン・メイのこと。最近、QUEENのライブビデオがお気に入りで、メンバー全員の名前を覚えてる)のギターと、おんなじ」と、植野隆司の持つアコギに釘付けに。「近くで見る?」という嫁の勧めに「うん」と言って前の方へ。
すると、そのままギタ―を弾く植野氏のそばまで歩み寄り、しばらく立ったまま眺めていましたが、植野氏と目が合うと、嫁の元へすごすごと退散。
途中休憩が入り、フロアに並べられる畳。そして、すっかり元気になった娘は会場中を駆け回り、僕らは夫婦で戦々恐々。
後半のオープニングでは、音遊びのメンバーのお母さん方(多分)が、ボウルの周囲をすりこぎで円を描くようにゆっくりとこすりながら、輪になってドローン合奏。その足下をちょろちょろ歩き回る娘。
その後、神妙な場の雰囲気は一転し、畳を使った相撲大会がスタ―ト。司会進行は細馬宏通、解説は大友良英。土俵上の進行は植野隆司、行事は貝つぶ。
音遊びメンバーとミュージシャンによる試合が続く中、梅田哲也によるロボット掃除機(ルンバ的なもの。でもケーブルが繋がっていて自由度が低い。でもカメラ搭載)がも登場し、手に汗握る一番もあればどっちらけの脱臼試合もありつつ、何故か音楽本編よりもやたら盛り上がる会場。相撲というフォーマットって、誰でも知ってるし誰にでも出来るし、すぐに終わるわりに瞬間的にすごく白熱するから、結構ずっと楽しんで観れてしまうんですね。
そんな会場の雰囲気とは全く関係なく、娘は土俵のそばで踊ったりほたえたり。時折土俵に近づいて様子を見ていましたが、後半ではついに土俵に上がってしまい、一身に注目を浴びることに。そもそも気が小さいので、勿論すごすごと退散。
そして行事の貝つぶ氏が相撲を取り、負けてしまって倒れ込んでいる所に、土俵の上へと客席から大量に投げ込まれる座布団。
座布団は倒れる貝つぶ氏の上に降り注ぎ、座布団の山にすっかり覆い隠されました。
本物の大相撲のような座布団飛び交う景色に不思議な満足感を覚えていると、不意に娘がまたも土俵に上がり、何をするのかと思えば、貝つぶ氏に被さる座布団を一枚一枚めくり始めました。
助けようとしたのか、座布団の山を解きたかったのか、真意はよく分からないんですが、会場は「一人の少女が埋もれた行事を助けようとしている」ということで盛り上がり、当事者の僕ら夫婦は大爆笑。
相撲も終わり、ラストはメンバー全員での合奏で大団円。
前半のセッションでも感じましたが、音遊びのメンバーは、ただ自分の音をストレートに表現するのではなく、周りの音を敏感に察知し、寄り添い、支え合うようにして自分の音を出しているんですね。特に今回は、以前バラバラに鳴っていたものが、手を取り合って一点に向かって駆けて行くような結束力を強く感じました。勿論、最後の合奏も、永井くんのタクトに合わせたタイトなエンディングを迎えることが出来ました。
「音楽」とは何か。文字通りに言えば、相撲は音楽ではないですが、無音の音楽というものが存在するならば、音楽家がいれば、もしくは「音楽だ」と宣言すれば、それは音楽なのかも知れません。そもそも、音遊びの会を「音楽である」と定義する必要は無いのかも知れません。それは、言葉で実体化できない「何か」なのか。
少なくとも、その「何か」には、二歳児が入り込み、関わり、ハプニングを起こす余地があるようです。
まだまだよく分からないことが頭の中を渦巻いていますが、ひとまず、このような空間で、子どもと共にこれ以上無く楽しい時間を過ごさせてくれた「何か」と会場の全ての人に深く感謝し、この日のことを生涯最高の思い出のひとつとして胸に刻み込みました。
早い時間での開演・終演だったので、家族での観覧。しかし早いと早いで娘(楽ちゃん。2歳10ヶ月の女子)は開演中に昼寝の時間が重なる可能性もあり、雨の中でしたが早めに出発し、COCON烏丸で雑貨を見ながら寝かしつけ。
なるべく開演ギリギリまで寝てもらったのが良かったか、会場入りするとすぐに起床。ただ、寝起きでぼーっとした状態。
ステージにドラムセットが組まれ、その前にDJブース。客席はコの字型に組まれ、ステージ前のフロアはステージから続くメンバーの活動スペースに。コの字の上辺にメンバーが座っていました。
照明が落ち、開演。冒頭はなんとヒップホップでスタート。大友良英と永井くんのDJに合わせてラップ(というか絶叫)する音遊びのメンバー。
「さいしょはぐー、じゃんけんぽんっ」と着地点の無いじゃんけん大会が延々繰り返されたり、打ち込みのドラえもんのオープニング曲が突然始まったりと、無秩序さが音楽を飲み込む壮絶さに、娘も僕に抱かれながら唖然。
続いては、2、3人で数分間行うセッションを数セット。こちらは、無秩序にひたすら迷走するようなハチャメチャなことにはならず、一人一人が自分の音を大事に、セッションメンバーと一定の距離感を保ちながらも上手く共生したような、実に美しい演奏が続きました。ハプニングが起こるスリルではない、音そのものが煌めいて迫ってくるスリル。
途中、チンドン屋のようにメンバーが思い思いの楽器(や箒のような非楽器)を持って踊り回りながら合奏(大友氏は手の上に箒を垂直に立ててうろうろするだけ)していましたが、娘を抱いてステージ隅に立っていた嫁が、何故か合奏の渦の中に引っ張り込まれるというハプニングが。しかし、後のことを思えば、この程度のことは序の口だったわけですが。
意識が冴えてきて、手元で遊び始めた娘。飽き始めたかな、と思ったら、テニスコーツの登場に目を奪われます。
「ぶきゃーん(ギタ―のコードを鳴らした音のこと)、っていう、ブヤイアンメイ(ブライアン・メイのこと。最近、QUEENのライブビデオがお気に入りで、メンバー全員の名前を覚えてる)のギターと、おんなじ」と、植野隆司の持つアコギに釘付けに。「近くで見る?」という嫁の勧めに「うん」と言って前の方へ。
すると、そのままギタ―を弾く植野氏のそばまで歩み寄り、しばらく立ったまま眺めていましたが、植野氏と目が合うと、嫁の元へすごすごと退散。
途中休憩が入り、フロアに並べられる畳。そして、すっかり元気になった娘は会場中を駆け回り、僕らは夫婦で戦々恐々。
後半のオープニングでは、音遊びのメンバーのお母さん方(多分)が、ボウルの周囲をすりこぎで円を描くようにゆっくりとこすりながら、輪になってドローン合奏。その足下をちょろちょろ歩き回る娘。
その後、神妙な場の雰囲気は一転し、畳を使った相撲大会がスタ―ト。司会進行は細馬宏通、解説は大友良英。土俵上の進行は植野隆司、行事は貝つぶ。
音遊びメンバーとミュージシャンによる試合が続く中、梅田哲也によるロボット掃除機(ルンバ的なもの。でもケーブルが繋がっていて自由度が低い。でもカメラ搭載)がも登場し、手に汗握る一番もあればどっちらけの脱臼試合もありつつ、何故か音楽本編よりもやたら盛り上がる会場。相撲というフォーマットって、誰でも知ってるし誰にでも出来るし、すぐに終わるわりに瞬間的にすごく白熱するから、結構ずっと楽しんで観れてしまうんですね。
そんな会場の雰囲気とは全く関係なく、娘は土俵のそばで踊ったりほたえたり。時折土俵に近づいて様子を見ていましたが、後半ではついに土俵に上がってしまい、一身に注目を浴びることに。そもそも気が小さいので、勿論すごすごと退散。
そして行事の貝つぶ氏が相撲を取り、負けてしまって倒れ込んでいる所に、土俵の上へと客席から大量に投げ込まれる座布団。
座布団は倒れる貝つぶ氏の上に降り注ぎ、座布団の山にすっかり覆い隠されました。
本物の大相撲のような座布団飛び交う景色に不思議な満足感を覚えていると、不意に娘がまたも土俵に上がり、何をするのかと思えば、貝つぶ氏に被さる座布団を一枚一枚めくり始めました。
助けようとしたのか、座布団の山を解きたかったのか、真意はよく分からないんですが、会場は「一人の少女が埋もれた行事を助けようとしている」ということで盛り上がり、当事者の僕ら夫婦は大爆笑。
相撲も終わり、ラストはメンバー全員での合奏で大団円。
前半のセッションでも感じましたが、音遊びのメンバーは、ただ自分の音をストレートに表現するのではなく、周りの音を敏感に察知し、寄り添い、支え合うようにして自分の音を出しているんですね。特に今回は、以前バラバラに鳴っていたものが、手を取り合って一点に向かって駆けて行くような結束力を強く感じました。勿論、最後の合奏も、永井くんのタクトに合わせたタイトなエンディングを迎えることが出来ました。
「音楽」とは何か。文字通りに言えば、相撲は音楽ではないですが、無音の音楽というものが存在するならば、音楽家がいれば、もしくは「音楽だ」と宣言すれば、それは音楽なのかも知れません。そもそも、音遊びの会を「音楽である」と定義する必要は無いのかも知れません。それは、言葉で実体化できない「何か」なのか。
少なくとも、その「何か」には、二歳児が入り込み、関わり、ハプニングを起こす余地があるようです。
まだまだよく分からないことが頭の中を渦巻いていますが、ひとまず、このような空間で、子どもと共にこれ以上無く楽しい時間を過ごさせてくれた「何か」と会場の全ての人に深く感謝し、この日のことを生涯最高の思い出のひとつとして胸に刻み込みました。
キツネの嫁入りpresents 第二回スキマアワー「学校で教わらなかった音楽」 at 元・立誠小学校 (Kyoto)
この日は元・立誠小学校で行われたスキマアワーに行って来ました。
昨年も遊びに行きましたが、家族で行ったら子守りで走り回るばかりで音楽が全く聴けなかったので、今年は一人で参加。

開演前にろびさんと近況報告をした後、職員室でdry river stringがスタート。
耳触りは良いもののあまり心に引っかからない音に感じたのは、ややぼんやりとしたPAとの相性もあったのでしょうか。数曲で飽きてしまい、室外へ。すると数年ぶりの意外な人と再会し、次のライブまでしばらく立ち話をしていました。
講堂での柳原陽一郎は、前半に「震災以降」の、正にその後の数多の事象をテーマにした歌をアコギの弾き語りで、後半にピアノの弾き語りで過去の曲、そして最後に「さよなら人類」。
たまも、その周辺の音楽もほぼ未体験なので「さよなら人類」意外は全く知りませんでしたが、前半の弾き語りは、歌の軽やかさと、歌詞の緊張感と、「学校の講堂」らしいアンビエンスが生み出すノスタルジーがただならぬ空気を生み出していて、心地良くも聴くごとに覚醒していくような興奮がありました。
3階の和室に行くと、Predawnが演奏中。色香の漂う柔らかい歌声が大変魅力的でした。部分的に声が表現についてきていない印象がありましたが、何せまだ20代であの声。歌とともに年を重ねると、身悶えするほどの素晴らしいシンガーになりそうですね。
職員室に戻り、sweet music山田さんに病状を訊いたり先日の音楽ライタ―講座の話をしたり。
少し時間が押してのうつくしきひかり。自分の視聴会で初めて聴いての初ライブでしたが、やはり生演奏は良いですね。MC.sirafuのMCもスティール・パンの音に負けず劣らずチャーミング。
演奏も素晴らしかったですが、「学校で教わった曲をやります」と歌った「おおきな古時計」が白眉で、歌い継がれた曲の強度、記憶にある音楽を呼び覚まされる快楽、そしてそれを引き出す二人の演奏家の力量に思わず唸ってしまいました。
講堂から聴こえるリハーサルの音が被っていましたが、それ以上に撮影クルーのカメラのシャッタ―音がものすごく耳につきました。何とかならないものでしょうか。
そのリハーサル音が聴こえていた講堂での石橋英子 with もう死んだ人たちは、以前観た時とは全く違うバンドサウンド。ファルセットのボーカルを乗せて変拍子と転調を繰り返しながらハードに突き進む楽曲はまるで70年代のYesのよう。どれも新しく出るアルバムの曲だったようです。楽しみですね。
物販コーナーで、先行発売されていたキツネの嫁入りの新譜を購入し、3階和室で演奏中のゆーきゃんを観に。
講堂、職員室から離れ、畳が倍音を吸収する良好な音響の中で響くゆーきゃんバンドの演奏は美しくも力強く、普段感じられる(というか全身から放射されている)センシティブさとは距離を置いた色鮮やかで厚みの感じるサウンドを奏でていました。
和室に入った時に演奏していた曲がイーノの「By This River」に聴こえましたが、カバーだったんでしょうか。
Jaaja は、少し暗くなりつつある職員室での演奏。
久し振りに観たJaajaは、やはり筆舌に尽くし難い素晴らしさ。飄々とした風貌と名古屋弁のMCが醸し出す脱力感とは対照的とも言える、乾いてひび割れた大地から軋みをあげて沸き出てくるような熱い音。そのひとつひとつの音のなんと饒舌なこと。
最初は小さな明かりの中の演奏でしたが、途中で「照明点けると、すごく天気の悪い日の授業中の教室みたいになりそう」ということで照明を点けたら、正に曇天模様の午前授業の雰囲気に。少年時代のノスタルジアとの、胸を締め付けられるような共演でした。
最後は講堂にて、コトリンゴ 。ベース、ドラムを加えたトリオ編成でのバンド演奏。ファーストアルバムでのピアノ弾き語り+電子音というイメージのままだったので、あまりアクティブな音は期待していませんでしたが、序盤からドラマーのただならぬ動きに目を奪われていると、曲ごとにバンドはどんどん前のめりに自己主張を強め、時に燃えたぎるようなインプロヴィゼーションへ。簡単な例え方をしてしまうと「クラムボンっぽい」んですが、あのバンドの持つ独特の「クセ」が鼻につく人には、若々しくストレートに疾走するアンサンブルは素直に気持ち良く楽しめるのでは。今の気分で言うと、僕はそのクチでした。
講堂のやや後方ではバンド演奏がタイトに鳴るような音響ではなかったので歌が聴き取りづらかったですが、バンドのエネルギーは十分伝わってきました。
終演後、夜の部があるアバンギルドには寄らず、タワレコや本屋に寄り道して帰宅。
校内は部屋によって音響が全く違い、さらに窓の開閉や外からの音の混ざり具合、時間帯でも大きな変化が起こっていたんですが、それに上手くハマるかどうかが結構大きな分かれ目だったように思いました。講堂では柳原陽一郎、職員室ではJaaja、和室ではゆーきゃんが素晴らしかったです。
昨年も遊びに行きましたが、家族で行ったら子守りで走り回るばかりで音楽が全く聴けなかったので、今年は一人で参加。

開演前にろびさんと近況報告をした後、職員室でdry river stringがスタート。
耳触りは良いもののあまり心に引っかからない音に感じたのは、ややぼんやりとしたPAとの相性もあったのでしょうか。数曲で飽きてしまい、室外へ。すると数年ぶりの意外な人と再会し、次のライブまでしばらく立ち話をしていました。
講堂での柳原陽一郎は、前半に「震災以降」の、正にその後の数多の事象をテーマにした歌をアコギの弾き語りで、後半にピアノの弾き語りで過去の曲、そして最後に「さよなら人類」。
たまも、その周辺の音楽もほぼ未体験なので「さよなら人類」意外は全く知りませんでしたが、前半の弾き語りは、歌の軽やかさと、歌詞の緊張感と、「学校の講堂」らしいアンビエンスが生み出すノスタルジーがただならぬ空気を生み出していて、心地良くも聴くごとに覚醒していくような興奮がありました。
3階の和室に行くと、Predawnが演奏中。色香の漂う柔らかい歌声が大変魅力的でした。部分的に声が表現についてきていない印象がありましたが、何せまだ20代であの声。歌とともに年を重ねると、身悶えするほどの素晴らしいシンガーになりそうですね。
職員室に戻り、sweet music山田さんに病状を訊いたり先日の音楽ライタ―講座の話をしたり。
少し時間が押してのうつくしきひかり。自分の視聴会で初めて聴いての初ライブでしたが、やはり生演奏は良いですね。MC.sirafuのMCもスティール・パンの音に負けず劣らずチャーミング。
演奏も素晴らしかったですが、「学校で教わった曲をやります」と歌った「おおきな古時計」が白眉で、歌い継がれた曲の強度、記憶にある音楽を呼び覚まされる快楽、そしてそれを引き出す二人の演奏家の力量に思わず唸ってしまいました。
講堂から聴こえるリハーサルの音が被っていましたが、それ以上に撮影クルーのカメラのシャッタ―音がものすごく耳につきました。何とかならないものでしょうか。
そのリハーサル音が聴こえていた講堂での石橋英子 with もう死んだ人たちは、以前観た時とは全く違うバンドサウンド。ファルセットのボーカルを乗せて変拍子と転調を繰り返しながらハードに突き進む楽曲はまるで70年代のYesのよう。どれも新しく出るアルバムの曲だったようです。楽しみですね。
物販コーナーで、先行発売されていたキツネの嫁入りの新譜を購入し、3階和室で演奏中のゆーきゃんを観に。
講堂、職員室から離れ、畳が倍音を吸収する良好な音響の中で響くゆーきゃんバンドの演奏は美しくも力強く、普段感じられる(というか全身から放射されている)センシティブさとは距離を置いた色鮮やかで厚みの感じるサウンドを奏でていました。
和室に入った時に演奏していた曲がイーノの「By This River」に聴こえましたが、カバーだったんでしょうか。
Jaaja は、少し暗くなりつつある職員室での演奏。
久し振りに観たJaajaは、やはり筆舌に尽くし難い素晴らしさ。飄々とした風貌と名古屋弁のMCが醸し出す脱力感とは対照的とも言える、乾いてひび割れた大地から軋みをあげて沸き出てくるような熱い音。そのひとつひとつの音のなんと饒舌なこと。
最初は小さな明かりの中の演奏でしたが、途中で「照明点けると、すごく天気の悪い日の授業中の教室みたいになりそう」ということで照明を点けたら、正に曇天模様の午前授業の雰囲気に。少年時代のノスタルジアとの、胸を締め付けられるような共演でした。
最後は講堂にて、コトリンゴ 。ベース、ドラムを加えたトリオ編成でのバンド演奏。ファーストアルバムでのピアノ弾き語り+電子音というイメージのままだったので、あまりアクティブな音は期待していませんでしたが、序盤からドラマーのただならぬ動きに目を奪われていると、曲ごとにバンドはどんどん前のめりに自己主張を強め、時に燃えたぎるようなインプロヴィゼーションへ。簡単な例え方をしてしまうと「クラムボンっぽい」んですが、あのバンドの持つ独特の「クセ」が鼻につく人には、若々しくストレートに疾走するアンサンブルは素直に気持ち良く楽しめるのでは。今の気分で言うと、僕はそのクチでした。
講堂のやや後方ではバンド演奏がタイトに鳴るような音響ではなかったので歌が聴き取りづらかったですが、バンドのエネルギーは十分伝わってきました。
終演後、夜の部があるアバンギルドには寄らず、タワレコや本屋に寄り道して帰宅。
校内は部屋によって音響が全く違い、さらに窓の開閉や外からの音の混ざり具合、時間帯でも大きな変化が起こっていたんですが、それに上手くハマるかどうかが結構大きな分かれ目だったように思いました。講堂では柳原陽一郎、職員室ではJaaja、和室ではゆーきゃんが素晴らしかったです。
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HUMAN NATURE 004 at HELLUVA LOUNGE (Hyogo)
この日はHELLUVA LOUNGEで行われた「HUMAN NATURE 004」に行ってきました。

オープニングは空きっ腹に酒という、まだ21かそこらという若手バンド。楽曲の完成度はまだまだという感じがしましたが、ラップ調の歌は十二分な押しの強さを持っていたし、ファンクをベースにした演奏は若さに反比例したタイトさ。今後の成長次第では大バコ対応の強力なバンドになるかも知れませんが、どうなりますかね。
続いてのザ・ドクロズは、一曲目から胸がざわつくようなわくわくするロックンロールで一気に引き込まれ、風通しの良いスカッとした音と絶妙な隙間を活かしたグルーブ感ですっかり一目惚れ。こういう、シンプルな中に旨味がたっぷりという感じの楽曲を持った、オーソドックスながらもゴキゲンなロックバンドに触れたのは、ははの気まぐれ以来かな。リードギターのテレキャスの音にメロメロでした。
トリ前のVALVAは、グラム・ロックな感じとユニセックスなボーカルがどうにも苦手でしたが、演奏自体はタイトで曲も持ち時間内での緩急の付け方も良かったと思います。ただ、やっぱりあんまり興味が持てず、集中力が続きませんでしたが。
トリはシャムキャッツ。先月のベアーズでの感想として「タイトさを増した分、以前のややデコボコしていながらもあちこちが突起しているようなつんのめった演奏からすると、やや大人しく思えるかも」と書きましたが、この日の演奏からは、タイトさを残しながらも、ゴツンゴツンと四方にぶつかって行くようなアクティブさが伺え、やや内側に向かっていたエネルギーが積極的に外に放射されるようになったような開放感が感じられました。
フロアの音も、メンバーそれぞれの個性がダイレクトに伝わってくるような分離の良さと適度な歪み具合で、彼らのライブバンドとしてのエネルギーがスポイルされること無くフロアに投下されていたのではないでしょうか。
ザ・ドクロズに魅了され、シャムキャッツに強力なパンチをたっぷりと貰い、早足気味に帰路へとつきました(神戸で23時近くなるのは結構気が重い年頃……)。

オープニングは空きっ腹に酒という、まだ21かそこらという若手バンド。楽曲の完成度はまだまだという感じがしましたが、ラップ調の歌は十二分な押しの強さを持っていたし、ファンクをベースにした演奏は若さに反比例したタイトさ。今後の成長次第では大バコ対応の強力なバンドになるかも知れませんが、どうなりますかね。
続いてのザ・ドクロズは、一曲目から胸がざわつくようなわくわくするロックンロールで一気に引き込まれ、風通しの良いスカッとした音と絶妙な隙間を活かしたグルーブ感ですっかり一目惚れ。こういう、シンプルな中に旨味がたっぷりという感じの楽曲を持った、オーソドックスながらもゴキゲンなロックバンドに触れたのは、ははの気まぐれ以来かな。リードギターのテレキャスの音にメロメロでした。
トリ前のVALVAは、グラム・ロックな感じとユニセックスなボーカルがどうにも苦手でしたが、演奏自体はタイトで曲も持ち時間内での緩急の付け方も良かったと思います。ただ、やっぱりあんまり興味が持てず、集中力が続きませんでしたが。
トリはシャムキャッツ。先月のベアーズでの感想として「タイトさを増した分、以前のややデコボコしていながらもあちこちが突起しているようなつんのめった演奏からすると、やや大人しく思えるかも」と書きましたが、この日の演奏からは、タイトさを残しながらも、ゴツンゴツンと四方にぶつかって行くようなアクティブさが伺え、やや内側に向かっていたエネルギーが積極的に外に放射されるようになったような開放感が感じられました。
フロアの音も、メンバーそれぞれの個性がダイレクトに伝わってくるような分離の良さと適度な歪み具合で、彼らのライブバンドとしてのエネルギーがスポイルされること無くフロアに投下されていたのではないでしょうか。
ザ・ドクロズに魅了され、シャムキャッツに強力なパンチをたっぷりと貰い、早足気味に帰路へとつきました(神戸で23時近くなるのは結構気が重い年頃……)。
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SOUL FLOWER UNION at Shangri-La (Osaka)
この日はShangri-Laで行われたソウル・フラワー・ユニオンのイベント「闇鍋音楽祭 2012」に行ってきました。ソウル・フラワーのライブは2年ぶり、フルボリュームのロングセットは3年ぶり、そして闇鍋は4年ぶりのご無沙汰。

向井秀徳は今までZAZEN BOYSでしか観てなかったので、この日初めてソロで観ました。
一時期ZAZEN BOYSは夢中になって聴いていたことがあり、アルバムもライブ盤含めて買い集め、ライブにもそれなりに通ったりしていましたが、ライブにもしばらく行かなくなり、普段聴くこともなくなってから彼の歌を聴いてみると、果たしてこの音楽が真っ新な気持ちで聴く人にどれだけ届くのだろうかという疑問が湧き上がります。
実に個性的で、彼にしかできないような弾き語りのスタイルを確立しているな、とは感じましたが、どうも彼の音楽をよく知っているお客さんとの共犯関係を前提として成立しているように聴こえて仕方がありませんでした。
ソウル・フラワー・ユニオンは久々に観ましたが、やはりというかもちろんというか、相変わらずの楽しさ、素晴らしさ。そしてもちろん、ソウルフラワーにとっての「変わらない」は「ずっと変わり続けている」と同意であり、特に震災後初めてだったこともあり、その「必然的な」変化の数々に、ファンとしては大きく頷く限り。「うたは自由を目指す!」「平和に生きる権利」「極東戦線異常なし!?」では歌詞の一部が変えられていましたし、そのままの歌詞で歌われながら意味の刷新を感じざるを得ない「ビッグ・アップル」、短いインストながら強く印象に残る「不屈の民」と、東北に向けて、原発に向けて強いエネルギーを発しているのがあらゆるところから垣間見え、それはお客さんが着ているソウルフラワーのTシャツに描かれた「NO NUKE」がフロアに溢れているという、その情景の変化にも表れていました。
それでいて、中川敬は「今日は阿呆になろうや」と満面の笑みで楽しそうに歌い、MCでは奥野との相変わらずの悪態の付き合いや馬鹿話(ソウルフラワー基金の話もしていましたが)。もちろん新曲も披露し、その曲のタイトルがそのまま次のツアータイトルに冠されているというのもいつも通り。そこには「続けること」を大事にする彼らの強い意気込みを感じますし、その日常の積み重ねの上に被災地への道があるのだということが改めて理解できたような気がします。
なにより再認識させられたのは、楽曲の「強さ」でした。何度もクライマックスが訪れるような名曲の数々の連発に興奮と感動で胸を熱くさせられつつ、前述したような歌詞の変更や楽曲の持つ強い政治的メッセージはそこかしこに容赦なく盛り込まれ、楽しいながらも現実に目を向けさせる力に手加減はありません。にも関わらず、音楽としての楽しさ、ダンスミュージック、ロックミュージックとしての魅力には一切の支障がありません。はっきり言って、この日も音響面はかなり悪く、楽器ごとのバランスもセンターボーカルばかり全面に出てくる歪なもので、上村美保子のコーラスと高木克のギターはものすごく聴こえづらい状況でしたが、それを全て凌駕するほどの「歌」の力。この問答無用の強度の高さが、日々社会にコミットメントし続けたことによって育まれているということを強く感じることができました。

向井秀徳は今までZAZEN BOYSでしか観てなかったので、この日初めてソロで観ました。
一時期ZAZEN BOYSは夢中になって聴いていたことがあり、アルバムもライブ盤含めて買い集め、ライブにもそれなりに通ったりしていましたが、ライブにもしばらく行かなくなり、普段聴くこともなくなってから彼の歌を聴いてみると、果たしてこの音楽が真っ新な気持ちで聴く人にどれだけ届くのだろうかという疑問が湧き上がります。
実に個性的で、彼にしかできないような弾き語りのスタイルを確立しているな、とは感じましたが、どうも彼の音楽をよく知っているお客さんとの共犯関係を前提として成立しているように聴こえて仕方がありませんでした。
ソウル・フラワー・ユニオンは久々に観ましたが、やはりというかもちろんというか、相変わらずの楽しさ、素晴らしさ。そしてもちろん、ソウルフラワーにとっての「変わらない」は「ずっと変わり続けている」と同意であり、特に震災後初めてだったこともあり、その「必然的な」変化の数々に、ファンとしては大きく頷く限り。「うたは自由を目指す!」「平和に生きる権利」「極東戦線異常なし!?」では歌詞の一部が変えられていましたし、そのままの歌詞で歌われながら意味の刷新を感じざるを得ない「ビッグ・アップル」、短いインストながら強く印象に残る「不屈の民」と、東北に向けて、原発に向けて強いエネルギーを発しているのがあらゆるところから垣間見え、それはお客さんが着ているソウルフラワーのTシャツに描かれた「NO NUKE」がフロアに溢れているという、その情景の変化にも表れていました。
それでいて、中川敬は「今日は阿呆になろうや」と満面の笑みで楽しそうに歌い、MCでは奥野との相変わらずの悪態の付き合いや馬鹿話(ソウルフラワー基金の話もしていましたが)。もちろん新曲も披露し、その曲のタイトルがそのまま次のツアータイトルに冠されているというのもいつも通り。そこには「続けること」を大事にする彼らの強い意気込みを感じますし、その日常の積み重ねの上に被災地への道があるのだということが改めて理解できたような気がします。
なにより再認識させられたのは、楽曲の「強さ」でした。何度もクライマックスが訪れるような名曲の数々の連発に興奮と感動で胸を熱くさせられつつ、前述したような歌詞の変更や楽曲の持つ強い政治的メッセージはそこかしこに容赦なく盛り込まれ、楽しいながらも現実に目を向けさせる力に手加減はありません。にも関わらず、音楽としての楽しさ、ダンスミュージック、ロックミュージックとしての魅力には一切の支障がありません。はっきり言って、この日も音響面はかなり悪く、楽器ごとのバランスもセンターボーカルばかり全面に出てくる歪なもので、上村美保子のコーラスと高木克のギターはものすごく聴こえづらい状況でしたが、それを全て凌駕するほどの「歌」の力。この問答無用の強度の高さが、日々社会にコミットメントし続けたことによって育まれているということを強く感じることができました。
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